校章

桑(くわ)の葉を鼎の三つ足にちなんで図案化。明治40年制定。

校長

楜澤 直樹

沿革

令和3年 7月 新型コロナウイルス感染防止のため1学期の音楽会を2学期へ延期。
10月2日 運動会 前半2・4・5年、後半1・3・6年に分けて、保護者参観数を各戸2名に限定し、午前のみで実施。
11月12日 延期した音楽会を学年ごと30分のプログラム、保護者各戸1名に限定し実施。
1月13日~1月21日 新型コロナウイルス感染症防止のため臨時休業を行う。(休業期間中、学習用タブレットを活用し、リモートで学活、授業を実施。)
3月 第1体育館のメタセコイヤの樹木を伐採。
令和2年 4月10日~5月22日 新型コロナウイルス感染症防止のため臨時休業を行う(休業期間中留守家庭児童の受け入れ実施)
10月、全ての児童に一人1台パソコンを貸与。ICT学習が始まる
3月 特別教室追加エアコン工事(第1理科室、第1音楽室、第2音楽室、家庭科室、図書館)
3月第2体育館屋根にソーラーパネル設置。
平成31年 普通教室エアコン設置工事完了 7月より稼働開始
第2体育館、プレイルーム棟及び低学年棟屋根の塗装改修工事9月完成
3月2日~3月18日 コロナウイルス感染防止のため臨時休業を行う
平成30年 プール南・西側フェンスを改修する。
校舎内全教室に無線LANが整備し、3~6年教室に電子黒板・教師用タブレットを導入。
校庭北東隅の落ち葉捨て場を整備。
低学年棟昇降口の防水工事を行う。
平成29年 飯田コミュニティスクール本格実施。
小中合同で「かなえコミュニティスクール」を立ち上げる。
低学年棟1,2年教室入り口を引き戸に改修。
普通教室に扇風機を増設。
図書館に網戸を新設。
第2理科室の机・椅子を新規購入。
草捨て場の取り壊しと新設(1体南側)。
校庭へ山砂10tダンプ15台程度補充。
平成28年 職員室西側下水道改修。
飯田コミュニティスクールの本格実施に備え第1回学校運営協議会を開催。
平成27年 職員室北側下水道改修。
1体外天井落下による補修。
宮下明子様(明星保育園園長)より図書100万円分の寄付をいただく。
昨年度に引き続き、卒業生原清様より199万円の寄付をいただき、金管楽器、琴、本棚、水中ポンプ等購入。
高学年プール濾過器の更新工事が行われる。
平成26年 防鳥用ネットがベランダに設置される。
校庭水飲み場新設。
JRC関連の全県公開。
本校昭和22年度卒業生原清様より250万円の寄付をいただきグランドピアノ等購入。
受水槽設置。
平成25年 消火栓、防災ベル等の消防施設がすべて改修される。
高学年棟各教室の落下防止手すり工事が完了。
低学年プール濾過器の更新工事が行われる。
学校の象徴でもあるポプラの木の大規模剪定作業が行われる。
平成24年 学校歯科保健大会開催される。
ベランダ落下事故防止のための柵の取り付けがすべて完了。
小中連携・一貫教育の飯田市モデル校として推進。 NIE(新聞を活用した教育)公開授業を行う。
平成23年 FBC春花壇、秋花壇共に、奨励賞受賞
水泳学習用のプールの水を井戸水から水道水へ変更。
高学年棟屋上の貯水タンクが破裂し、交換。
高学年棟屋上防水仕様の塗装工事を行う。
平成22年 FBC春花壇コンクール奨励賞受賞

○高学年棟屋上に太陽光パネルを設置。太陽光発電が開始される。
6年生風越山登山でスズメバチの襲撃に合い児童2名教師1名が刺されるが、大事には至らなかった。

平成21年 高学年棟2階のベランダに落下防止のための柵を取り付ける。
グランドピアノを購入し、第一体育館に設置する。
平成20年 鼎体育館で行われたアフェニスくつろぎコンサートに本校フラワー・エンジェルスが参加。
昭和49年度卒業同窓会より、ハイビジョンテレビ、DVDプレイヤー3台、テレビ用ラックの寄贈。
PTAより、テント1張、インタラクティブユニット1式、ジェットヒーター1台の寄贈を受ける。
平成19年 会議室をフローリングの床に改修。研究室を特別支援教室2教室に改修。高学年棟漏水補強工事を行う。
PTAより体育館改築記念として、演台・花台の寄贈を受ける。校舎航空写真撮影。
18年 耐震診断の結果、第1体育館を取り壊し改築することを決定する。耐震補強工事を実施する。(管理棟・一般棟・プレールーム棟)
旧第1体育館を取り壊し、新体育館の建設工事を行う。取り壊しに伴い、お別れ一般開放を行う。
17年 大規模地震に備え、校舎、第1体育館の耐震診断を行う。水道管漏水補強工事を行う。(低学年棟)
15年 教室窓枠アルミ化工事を実施する。階段壁板貼り工事を実施する。トイレ改修工事を行う。
14年 中央廊下をプレールームに改修する。職員トイレの改修、身障者用トイレ設置。高学年棟児童トイレ改修工事を行う。生ゴミ処理機、ゴミステーションの設置。
13年 給食配膳室・コンテナプール改修工事。低・高学年天井・壁塗装工事。校長室・職員室・事務室・放送室・保健室・職員玄関・用務員室の全面改修を行う。
12年 鼎児童センターができる。それに伴い、旧鼎池を改修して、ビオトープとする。
校舎大規模改修3年計画が始まる。
10年 低学年棟トイレを改修する。職員トイレを改修する。
校舎大規模改修に向けての3ヵ年計画を建てる。
8年 鼎小中給食センターが、新しくできた矢高調理場に移管となる。
6年 金管楽器購入
4年 低学年用プール浄化機取り替え
昭和59年 鼎町が飯田市に合併。飯田市立鼎小学校となる。
58年 町役場跡に第2体育館を建設。プレールームを図書館に改修、図書室と児童会室を普通教室に改修する。
55年 学校保健統計調査 文部大臣賞を受ける。鼎小PTA 文部大臣表彰を受ける。
51年 アルミプールが完成
48年 鼎小学校開校100周年記念式典 PTA記念碑・門柱建立 記念樹植樹(欅3本)
46年 PTAにより岩石園設置
44年 校舎全面改築完成、竣工式を行う。PTA記念事業としてプレールーム棟前に庭園造成、贈呈式を行う。
鼎小中学校給食センター完成。
43年 管理棟完成。3年生以上、新校舎で学習開始。第2、第3校舎取り壊し完了。
42年 新校舎建設開始。第4校舎取り壊し完了。校舎建設起工式を行う。
41年 PTA評議員会にて、小中PTAが分離独立することを決定する。
36年 梅雨前線による集中豪雨(三六災害)で、児童家庭にも被害が出る。
小学校プールが完成する。1年生が入学記念にポプラを2本植樹する。(現在1本が残る)
35年 給食室整備充実
32年 玄関新築完成。体育館前ヒマラヤスギ、1年生記念植樹
31年 新体育館(第1体育館)が完成する。町を挙げて落成祝賀会が行われる。(3日間)
校歌の伴奏曲ができる。校庭北隅に低学年用遊具場完成
学校整備5ヵ年計画完了
30年 宿直室、給食室等移転改築。
中庭の池完成(築山と植樹)。家庭工作室は中学校へ移転。運動場拡張(~31年)
29年 町制施行により、鼎町立鼎小学校となる。
鼎中学校完全移転。併設解除で単独校となる。
27年 鼎町学校整備5ヵ年計画が実施され、第1期工事(中学校北校舎建設)が始まる。
26年 職員による放送設備整備作業
25年 新校舎落成式を行う。第四校舎ができる。
23年 鼎学校PTA総会がおこなわれる。
養護室上棟式を行う。
22年 新学制に伴い、鼎村立鼎小学校となる。新しく鼎中学校が誕生。義務教育が9ヵ年となる。(同一敷地内に小・中学校併設)
鼎学校PTA(小中合同)創立総会を行う。
21年 父兄会(PTA)結成準備会を行う。
19年 学童集団疎開(世田谷区守山国民学校児童)
空襲警報方発令が頻繁となる。
18年 新校舎落成。
空襲警報が度々発令され、その都度避難をする。
17年 増築校舎上棟式。校長住宅竣工
16年 国民学校令実施に伴い、鼎国民学校と改称する。
13年 栄養給食開始(みそ汁を夏休み前後11日間)
9年 増築西校舎上棟式
8年 体操場増築
7年 体操場増築のため、校地拡張する。
5年 校舎増築(4教室分)
2年 第三校舎移転
大正15年 第五校舎新築
14年 第五校舎新築のため、校地拡張計画が進む。
11年 稲井分教場移築 第一校舎の裏へ移す。
10年 稲井分教場廃止
9年 校舎増築(宿直室・湯沸所・公使室も含めて)
2年 学校統一。稲井分教場を置く。
明治44年 体操場移築着工 新井戸掘削
43年 新校舎落成式
40年 校歌・校章制定
31年 修学旅行を始める。
30年 体操場落成。(昭和31年解体)
26年 鼎尋常高等小学校と改称。
25年 小学校令実施。鼎尋常小学校となる。
稲井尋常小学校分離独立。
22年 鼎村・稲井村が合併。鼎村となる。
19年 鼎・稲井連合村になるに伴い、小学校区改正。稲井学校を鼎学校稲井派出所と改める。西支校を廃止する。
18年 鼎・稲井連合村を組織。
初めて校庭運動会を行う。
17年 校舎内より火災発生。校舎全焼。新校舎竣工し、開校する。
16年 新校舎建設。東支校は廃止。西支校はそのまま。
15年 本年より、「中等科・初等科」を置く。
14年 鼎村を分離し、一色、名古熊を「稲井村」旧山村を「鼎村」とする。
9年 校名改称 「大栄学校」は「鼎学校」、「明道学校」は「稲井学校」となる。
筑摩県廃止。長野県に編入。
8年 明道学校新築。
この年、山村、一色村、名古熊村が合併して、鼎村となる。
6年 開校 第2番大学区筑摩県館内大19番中学区第93番小学校。本校は「大栄学校」と称す。山村宝蔵寺を仮校舎とし、東西に支校を設けた。
東支校 下山村薬師庵、西支校 切石十王堂
児童数 本校130人 東支校30人 西支校30人
名古熊において、民家を使用して「明道学校」を開設。翌年児童を募集(53人)。第94番学校となる。